2013年1月20日日曜日

藤原一生先生の講演その18

僕の幼少期と僕の才能


僕の場合には、話しましょうね。

人のこと言わないで、自分の事を言いますが。まず貧民街に育って、非常に貧しい、家庭色というのがない。

本当にボロボロの中で
どうして、真っ当に生きてきたか?

まずそこに非常に明るい面を持っている、与えられたという事ですね。

それから、
生き抜く力を持っていた

それから、発想力がありましたね。

例を言うと、
オヤジがいつも一銭か二銭おいてくれるんですね。
一銭玉ですよ、昔はね、二銭ぐらいが普通なのに、
オヤジが酒飲んじゃってお金がない時に
一銭ぐらいしか置いていかない。
それでとってもやっていけないんだよね。
紙芝居を見るのだってお金がかかるんだよね。
やきそばを食うにもお金がかかるんですね。
屋台のをね。
それで次に何をするかというと
ベイゴマをするんですね。
ベイゴマをして勝つ。僕はうまいからな。
駄菓子屋に行って、一銭で2個売ってんのね。
藤原一生商店という看板を作ってね。
僕は一銭で4個。
そうするとどんどん来るよね。
来るけども、でその子は一銭で4個で儲かったと思うけれども
30秒、1分後には、それは僕の元に来ている訳です。

これはどういう計算になりますか?
いつもゼロですね。ゼロの世界。

それからもう一つは、雄弁と言いますかね、話す力を天は与えてくれていますね。僕に。

例えば、縁台商(えんだいしょう)。

東京湾の港から労務者が帰って来て、
夜、急に吹き上がります。
夏なんかねうちに帰ってくると、
クーラーも何もないですからね、うちわだけですからね、あるのはね。
ですから、皆、おもてに行ってね、夜眠くなるまでいますね。
すると、僕は縁台話とするんです。

と、すぐに空き缶を置いて、メンコ1個とですね、何かを入れないと聞かせないんですね。

これは黄金バットの咄家(はなしか)から教わった教訓ですね。

そうすると
「お前うまいな!お前今に高職種になれるぞ!、、、。天才少年だ!」と言われたことがあります。

そういう風に
雄弁というのが与えられています。

で、しかも雄弁を悪の方に使わないという理性。こういうものが何かしら心に染み込んでいる。

自分でも不思議です。
この不思議な藤原一生をNHKなどが目につける訳です。

で、皆さん寝ているから見てないでしょうが、

朝5時台のね、人生読本というのに出ると
1回出て感動した人の講演の依頼が1年続いたという、嘘みたいな話でしょ。

作家ですごいでしょ。こういう風に。
これが十年間続くんですよ。

僕はこれでノサップから沖縄まで講演をいただきましたからね。

電話に出るとね、
「藤原先生ですか?私あの文教関係の教師員やってます。」
おばさんの声ね、
「読んでます。先生、なんとか来てもらえませんか?
うちはお金がなくて安いんですが、ぜひ先生来て下さい。」
って、沖縄に行ったりしました。

そういう旅が随分続いております。
ありがたいですね。

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