2016年12月24日土曜日

「けん玉道の師 藤原一生物語」が出版されました!

「けん玉道の師 藤原一生物語」という本がPHP研究所より出版されました。
この本の参考資料の一つとして、このブログにアップしている1991年の藤原一生先生の特別講演の内容が使われています。
さらに、私の子どもの頃からのけん玉の取り組みも紹介されました。

私が編集&出版という自己出版よりもさらに手作り冊子を自宅のプリンターで印刷しては、関心のある方に配布してきたものが、この本に掲載されています。

藤原一生先生は、100年後もの名前は残り、語り継がれる。その中でも今回の本は、とてもよくまとめられています。

けん玉をする人もしない人も、この本を読めば、そこには希望の光を見ることができることでしょう。

あせらず、あわてず、あきらめず。

SHUさんブログでも、けん玉に関する本を紹介しています。
↓ ↓ ↓
http://kendama65.blogspot.jp/p/jka.html

2016年8月5日金曜日

おかげさまで1万アクセス

7月31日に1万アクセスを突破しました。
元々、けん玉回顧録としてスタートしたブログですが、書いていくうちに、藤原一生先生の講演会の記録がメインとなり、それに関する資料を整理して、このブログにアップしてきました。
ある程度、その記録が整理することができ、藤原一生先生の投稿記事の書かれていた「けん玉のドラマ」ということばが心に残り、今の題名になりました。

「けん玉のドラマ☆藤原一生先生を慕って」
過去を整理することで、今が見えてきて、今を生きることが、未来への希望につながっていくことを感じるこの頃です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


2016年8月4日木曜日

藤原一生先生の名言「人生の壁」

Viewpointに投稿するようになって、投稿は7回目に。
「ふりけんは人生の壁、けん玉で未来を切り開く!」
(2016年8月)
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http://vpoint.jp/column/69828.html


藤原先生のこの言葉が、耳から離れない。
「人生の壁」
どうして「ふりけんが人生の壁」なのか?
私が20年以上続けることができているのも、もしかしたら、この言葉のおかげかもしれない。


興味を持たれた方はぜひご覧ください。

2016年4月10日日曜日

藤原一生初代会長の執念(文部大臣杯)

小学生けん玉全国大会を「文部大臣杯」にした初代会長の執念

という題で、ビューポイントに投稿しました。
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http://vpoint.jp/column/62952.html


関心のある方は、ぜひ御覧ください。



2016年3月31日木曜日

藤原一生先生の集中度の分析1989年資料

藤原一生先生は1989年9月に藤原一生の集中度の分析という文章を書いている。
当時、日本けん玉教会の事務局は、藤原一生先生の自宅。その場所は田無市内。当時はNKKサービスセンターとしての拠点を自宅で担っていた。
NKKとは、日本けん玉協会の略。

地元田無市での活動も盛んであったであろうことが推察される資料である。
藤原一生先生と言えば、この田無市(西東京市)。藤原一生先生のことがテレビで紹介されるとしたら、この田無市が紹介されることは間違いないのではないかと思われる。

2016年3月15日火曜日

藤原一生初代会長との出会い(コラムの紹介)

ビューポイントのホームページに
「けん玉の輪・藤原一生初代会長との出会い」というコラムを投稿させていただきました。
↓ ↓ ↓
http://vpoint.jp/column/61294.html

夜学での特別講演会のことなどを紹介しています。

2016年2月14日日曜日

忘れなれない一戦「つるし一回転灯台」92年

92年の古き思い出のけん玉大会で、

http://kendama65memory.blogspot.jp/2012/05/922.html


勝った時の技について書き留めておきたいと思い、ここに書きます。

今も継続したタイトル戦の一つが、全日本学生けん玉選手権大会とけん玉全日本新人王決定戦。

私が勝った時の技は「つるし一回転灯台」でした。
実は、この技、大会の当日の朝の時点では、全くできない技だったのです。

全くできない状況のため、この当日に来ていらっしゃった丸石前会長に、「つるし一回転灯台ができないのですが、、」と言って教えてもらったんです。
膝の使い方、上下の高さを利用して行うこと、玉を取るタイミングなど。

これができないと勝ち目がないと感じて、大会の直前まで練習していたのです。

そして、くじを引いたらビックリ!つるし一回転灯台をすることに。

とにかくするしかないと開き直っての挑戦。
それで、私が成功したのでした。自分でもビックリで、今もこの時のことは鮮明に覚えています。