2015年10月15日木曜日

けん玉のドラマ:私SHUの人生の分岐点

今日10月15日は私が働いている一心病院の初代理事長&院長の上崎道子先生の7回忌(満6周年)の日。
病院関連での上崎先生を追慕する集会があり、参加してきました。
上崎(こうざき)先生との思い出はいくつかありますが、その中でも、けん玉にまつわる人生の分岐点を思い出したのでした。

私は約25年前からリハビリの夜学に行きながら、昼は一心病院リハビリ科に勤務していました。そのため、夜学校から帰ると、必ずと言ってもよいほどに別館の2階にあった図書館で勉強をしていました。
夜11時頃から深夜の1時頃。
そうすると眠くなるので、勉強の合間によくけん玉をしていたのでした。それが外から見えるところで、当時の事務長からは深夜に電話がかかって、「夜まで大変だね!けん玉しているの?」と。
けん玉をいろいろなところでしていることもあり、当時から私がけん玉をしていることは知られていました。

そんなある日のこと、上崎院長と副院長、事務長らが会議室で話しているところに呼ばれて、私が入室したことがありました。
何の用事で呼ばれたかと思ったら、病院の仕事以外で、熱心にけん玉をしているけど、それは続けていくかどうか?ということを何やら話し始めたのでした。
私は、「ぜひけん玉を続けていきたい!」と話し、結果としては、「何かに熱心に打ち込めることは良いことだね!」と言われ、やるならしっかりやりなさい!とも励まされての退出となりました。
もし、この時にけん玉を否定されていたら、今の私はなかったかもしれません。
病院の幹部の方々からの激励が、今の私のモチベーションを保たせる原動力になっているのだなあと、改めて思い出したのでした。

人との出会い、けん玉との出会い。
それが今の私を支えていると。
振り返れば、私の人生の分岐点であり、けん玉のドラマがこれから展開していくスタートラインとなったように、思い出されたのでした。
海外医療奉仕活動(上崎道子先生)

2015年10月10日土曜日

日本けん玉協会40周年でけん玉&ハーモニカ

2015年9月12日(土)
木村圭助さん(94歳)が、日本けん玉協会40周年イベントで、
けん玉&ハーモニカを披露しました。
大きな舞台でも、さすが木村さん!


ご本人の了解を得てのアップとなりました。