2010年2月4日木曜日

社医学でのけん玉クラブができるまで

社医学(社会医学技術学院)に 1990年に夜学の理学療法学科に合格し入学しました。病院に勤務しての夜学ということで、体力をつけないと大変だと思い、ウエイトトレーニング部に入 り、筋トレをすることにしたのですが、そこにいっしょに入部した友達Jさんと出会い、彼にけん玉の話しをしたのがきっかけで、彼が日本けん玉協会の会長に 会いに田無へ行き、会長から直接、本やビデオを購入して来ました。それを見てびっくり!この行動力にはびっくりしました。
入 学して半年もたたないうちに、ウエイトトレーニング部の活動の後半は、なぜかけん玉をいっしょにするようになり、それも先輩はほとんどいないクラブ状態に なっていたこともあったのですが。Jさんは、人を誘うのが上手で、ウエイトトレーニング部が、気がつけば、けん玉クラブ化していました。
そこで、別に「競 技けん玉倶楽部」を発足し、私が部長でJさんが副部長になり、毎日のようにけん玉をするようになりました。部として学生自治会に登録し、翌年には部活動と しての活動費を申請するようにし、活動費で、カウンターや、ストップウォッチなどを購入ました。
学 校の授業が終わると、けん玉して、夜10時30分に学校を出て、飛騨高山という飲み屋で夜食を食べて、帰ったら夜の0時といった日が多かったように思いま す。忙しかったけど、楽しい思い出になっています。
時には、帰りの電車の中でけん玉をすることもありました。できると拍手をもらったことも。これは帰りの 電車がかなり空いていたこともありましたが。
名前に競技とつけたのは、スポーツとしてのけん玉の意識をもってする意味を込め、倶楽部としたのは、どこまでもけん玉を通して楽しむことを大切にしたいという意味を込めたのでした。

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