2014年9月21日日曜日

ころがしけん先すべり

「ころがしけん先すべり」を紹介します。

前回、間違えて「段ちがいけん先すべり」を紹介しました。
田上さんから教わった技の第2弾。

おみこし(皿銅の持ち手側に乗せる)からの技です。
簡単な技にするには、まずは手のせおみこしで、皿銅に手で乗せてからしてみてはいかがでしょうか?


技は555種目までになりました。(9月21日現在)
http://kendama65memory.blogspot.jp/p/blog-page_2.html

目指せ1000種目!
より昔からある技を優先して載せてみています。
最近はyoutubeでたくさんの技が紹介されていますね。
秋元さんの動画を特に調べて載せてみています。

2014年9月13日土曜日

段ちがいけん先すべり

田上五段に
おみこし→めだか
のような技は昔からありますか?と尋ねたところ、
「それはね、段ちがいけん先すべりがありますよ。」と言われ、その技を実際にやってもらいました。
 さすが昔からいろんな技をしてこられた田上五段。





2014年9月11日木曜日

けん玉の技はおもしろい<500種目達成!>

けん玉の技一つ一つには、ドラマがある!そう感じるこの頃。

何とか500種目は書き上げることができました!
 
今、技の洗い出しをしていて、ふと気になった技があります。
それは、「まさかり」
逆うぐいす(猿のこしかけ)の逆バージョン。
この技は、公式戦で見かけたことはなく、youtubeでもあまり見かけない技。
私は、まだ一度も玉をもって、下からけんを引き揚げてまさかりができたことがないのです。

これから、流行るかも?
この技自体は手のせならできるので、考えた技は、

1)手のせまさかり~さか落とし
2)手のせまさかり~灯台

もっといろんなことができる気がしてきたので、実際にやってみながら、技をかってに増やしてみようと考え中です。

扇風機の技ですが、これはとても魅力的!でもはるかに難しい!
これをもっと簡単にできるにはどうしたらよいか?そう考えていると、最後がけんにさすことが最も難しくしている点。つまり、最後は中皿に乗せるようにしたら、簡単!ということで、私がかってに考えた技があったりします。

 http://kendama65.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html

この技を小学生の息子に教えてみると、腕の長さが子どもは短いためか、けんが自分にぶつかりそうで怖い!と言われてしまいました。

おみこし系の技も実はもっとあるのではないか?と思っていて、昔からの大先輩のけん玉名人に尋ねてみる予定です。

けん玉の技は、まだまだある!1000種目は書き上げたいと思います。
↓ ↓ ↓
けん玉技
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2014年9月8日月曜日

カウントして450種目超え!

実際に知られているけん玉技はどのくらいあるのだろうか?
でカウントして、
けん玉ワールドカップ廿日市の技やKENDAMA STREET STYLE (DVD)も加えてみて、2014年9月8日時点で、450種目を超えました。
組み合わせとしていくと2万は超える?

検討しつつ、現実味のある技を加えています。まだまだ始まったばかり。
まずは500種目は書き上げてみたいと思います。

先日、けん玉本のお手伝いをしてみて、 けん玉の辞典のようなものがあるといいなあ!と思うようになり、まずは洗い出しからということで始めてみています。
基本となる技のパターンがあって、それの組み合わせで技が増えますが、全く異なったパターンが見つかるとそれを今までの技の組み合わせによって技が増えていくように感じるこの頃です。

↓ ↓ ↓
けん玉技
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2014年9月4日木曜日

実際に知られているけん玉技はどのくらいあるのだろうか?

実際に知られているけん玉技はどのくらいあるのだろうか?
という疑問が、前回紹介した藤原一生先生の記事を読んでいて疑問に思い、ただいま、技名を挙げてみています。持っている本から抽出中!

連続技に関しては、けん玉の大会などで行われているものを挙げてみました。

2014年9月5日時点で、300技は挙げることができました。

果たして2万の技が浮かぶだろうか?
↓ ↓ ↓
けん玉技
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2014年9月2日火曜日

題名の変更「けん玉のドラマ〜藤原一生先生を慕って」

けん玉活動録 → けん玉のドラマ
に変更しました。

見つけた1枚の記録。そこに書かれた記事。
「一本のけん玉に潜むドラマ」

そうなんだ!
けん玉のおかげで出会えたドラマがあったのだ!と。

活動を書く以上に、
ドラマを書くようにしてきたい!と思いまして、名前を変更することにしました。

これからもどうぞよろしくお願いします。

2014年8月23日土曜日

一本のけん玉に潜むドラマ(1992年10月8日)

押入れを掃除していたら、1枚の機関誌(社医学競技けん玉クラブ)が出てきました。
発行は1992年11月1日

その中に、1992年10月8日の毎日新聞の記事が紹介されていました。
そこには、フランスでの感動が書かれていました。
以下の内容です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

日本けん玉協会会長・作家 藤原 一生 「私見/直言」

一本のけん玉に潜むドラマ

一本のけん玉から三万以上の技が生まれるといっても、疑いの目をむける人が多い。
 日本けん玉協会の創立は一九七五年五月五日。一年後の一周年記念のプログラムを見ると、「ウルトラC100)のキャッチフレーズが人々の目をひきつけるように大きく書き出されている。
 それが創立五周年記念の記録を見ると「ウルトラC200」になり、八五年の創立十周年となると二万という数字に大変身している。
 現在ではそれが三万以上に達しているが、これらウルトラCの名人技は日本けん玉協会の名人たちが頭をひねって作り出したものではない。
 けん玉を楽しんでいる日本中の無名の少年少女たちが、その発明発見の主流をなしている。
 けん玉のみごとな技の発明発見の動機も、一般発明界と少しも変わることはない。その多くは”偶然の発見”が多い。
 一般の発明発見の世界では、「ふべんなこと」から追求してゆくドラマが潜んでいるが、けん玉の世界では”遊び”の中から今まで思いもしなかった技が不意に目の前に出現することがある。
 一瞬の感動が、次のウルトラC発見へとつながってゆく。
 その成功のドラマも計算のもとに作られるものではない。たえず追い求める心が、目に見えない糸をたぐっているのだ。考える心の中から新しい考えもにじみ出てくる。創造力の豊かなドラマへと転じて行く。
 すばらしい技は技を呼ぶだけではない。人々の目をひきつける技は、また、思いがけない感動の輪を呼ぶ。
 今春三月、パリの日本人学校伝承活動のひとコマ、ひとコマがくっきりと目に浮かんでくる。
 体育館に足をふみいれると、全校生徒の声がどっと上がった。日本けん玉協会のこともよく知っていた。
 喜びと感動の半面、なぜ、この遠いフランスの地までけん玉の輪がひろがったのか、その波及のなぞに一瞬、心の動きが止まった。しかも、大半の子がけん玉を持っていて、級・段認定の技を楽しんでいる。
 はじめて見る楽しいゲーム、ニューウルトラCに燃え、燃え、大歓声がこだました。
 別れるとき、一列にならんだ子どもたちの一人ひとりの手が熱っぽく汗ばんでいた。私にとっても、幸せの一瞬であった。
 「けん玉のひびきは平和のひびき」。私の大好きなキャッチフレーズである。この美しい響きを守り続けなければと思う。

2014年7月6日日曜日

児童童話「あかい目」

藤原一生先生の代表作品「あかい目」

私は、1991年の特別講演の時に、購入してサインをいただいたものを持っています。
先日、もう1冊欲しくなり、AMAZONで検索したら、中古があったので、購入しました。

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4092430345/ref=olp_tab_all

インターネットがなかったころは、このような購入の仕方はなく、入手が難しかったのですが、時代的な恩恵で、手に入りました。

子どもの童話となっていますが、大人が読むと涙が止まらない話で、オススメです。

復刻版が出るといいのですが、、。

2014年6月12日木曜日

藤原一生先生Youtube に復刻

10年前のテレビ上映が、今、この時にアップされました!
藤原一生先生を多くの方々に知っていただきたく、シェアさせていただきます。



2014年6月4日水曜日

上級指導員講習会2008年

2008年の第2回上級指導員講習会についての回想です。
この講習会は、けん玉道五段以上であることが参加資格であることを私は知らずに申し込みました。そして、事務局からは「どうぞ!」ということで参加しました。
参加してみると、五段以上でないといけないことを会場で知ったのでした。

そして、一ヶ月以内に五段合格するように言われたのですが、講習会後2週間もしないで不合格通知が来て、上級(1級)には至らず。
この講習会に参加して以来、活動記録を毎回書くようにしており、ここ3年以上はブログで活動報告をアップするようにしています。
そういう意味では、
この上級講習会によって、新たに指導員としての認識を持って、前向きに取り組む自覚を持って、けん玉普及に努めるようになったように思います。

いまだにけん玉道四段なので、五段への昇段を目指しての道は続いています。

2014年5月6日火曜日

冊子「けん玉人生の解剖」を改訂(200冊)


冊子「けん玉人生の解剖」のあとがきは、以下のように書きました。
 
 この冊子を作成し改訂していくにあたり、皆様からのご感想、ご意見等もいただきました。病院で勤務しながら作成したため、入院患者さんにも読んでいただき、ご意見をいただきました。
 藤原一生先生がおっしゃっていた「浅草六区」や「北支」の意味は戦争体験をした患者さんからお話をうかがい知ることができました。ありがとうございました。
 また、中井裕子さんの編集協力で、より良い冊子になりました。
 けん玉を通して多くの方々と出会い、その出会いこそが宝だと感じております。その出会いをさらに大切にしていきたいと思っています。
 20137月の第12回藤原一生杯〜世界けん玉選手権〜では、この冊子を30冊寄贈することができました。また、20144月の時点で、200冊を自宅で印刷して発行できましたことを心より感謝申し上げます。

 20144月    吉 本 秀 一



2014年4月7日月曜日

厚生文化会館で、連絡をとれずに休んだ日(2011年)

厚生文化会館には、2003年からけん玉クラブを行っていますが、唯一連絡がとれずに休んだ日がありました。
それは、2011年3月11日14時46分18.1秒の東日本大震災があった日。この日は、厚生文化会館でのけん玉クラブを予定していた日でした。
そのために、午後から仕事は早退して、電車に乗って練馬駅を下車し、西友スーパーのエスカレーターに乗っている時に大地震が!!
揺れる中で、歩いて自宅まで徒歩10分。道路では電柱がグラグラと揺れていたことを思い出します。
家に帰ってからも余震は続き、児童室に電話しても通じず。こうなっては、児童室に行ってもけん玉クラブはできる状況ではないと判断して、自宅待機したのでした。
もし、通常の勤務であれば、大塚から1時間以上歩いて帰ることになっていたことでしょう。
実は、この3月11日は、けん玉クラブがなかったら、茨城県のリハビリの学校に実習を受け入れる担当者としての説明会に出席する話があったのでした。しかし、茨城県の話が来た時には、すでにけん玉クラブの予定が入っていたため、行きませんでした。

けん玉によって、運命の時に自宅にすぐ戻ることができたのは幸運だったと思います。

この日以外は、毎月、第2金曜日に厚生文化会館の児童室に行っています。
2014年4月からは、毎月の第1金曜日に変更しました。
2010年以降のことではありますが、前回投稿した内容を書いていて、この時のことが思い出されました。

2014年3月4日火曜日

おかげさまで4,000アクセス・厚生文化会館でのけん玉クラブ

けん玉活動録も、おかげさまで4,000アクセスを超えました。

2010年以前の記録を思い起こしながら、アップさせていただいています。

2010年以前は、どのような活動をしていたのか?思い起こすと、その多くは子育て奮戦記だったなあと。
今もその真っ只中にありますが、厚生文化会館の児童室にけん玉指導に行くようになったのも、長男がお世話になるようになったのがきっかけ。その長男は今は19歳に。まだ5番目の次男は今小学5年生ということで、今も厚生文化会館児童室にはお世話になっております。
気がつけば、児童室で私が最も古い?人になっているような。
私の日誌などによると
2003年から厚生文化会館でのけん玉クラブは始めたようです。
ということは、11年間毎月行っていることになりますね。




2014年2月13日木曜日

2級指導員の取得は1995年5月

けん玉の2級指導員、普及員の講習会は毎年行われています。
 行われる時期は5月の全日本けん玉道選手権大会の前日、または、全日本クラス別けん玉道選手権大会の前日に行われています。

私の場合、1995年の5月24日に参加しました。
この時に、会員IDもいただきました。
そのIDが私にとっては衝撃の番号でした。
それは、「65」
このブログのアドレスにも65を入れているのはそのためです。
私は1965年生まれ。

65という数字はとても縁のある数字だと思っています。

私は、日本けん玉協会入会者としては65番目ということになります。
今は少年少女から大人の会員(活動会員)の合計が1000人を越えていますから、そういう意味では古い会員の一人ということになりますね。

これからも謙虚に、誠実に、真摯に、指導員としても努力していきたいと思います。選手としても五段の昇段を目指しています。

2014年1月13日月曜日

練馬区立富士見台小学校学童クラブでのけん玉教室

練馬区立富士見台小学校学童クラブでのけん玉教室は、2003年からTouchさんらが指導に行くようになり、2005年から私が関わるようになりました。

2014年1月の豊島支部けん玉道場の練習会には、この学童クラブより2名のスタッフが参加され、富士見台小学校がとても懐かしく思い出されました。
2009年


2005年(1回目)2月26日
2006年(2回目)2月25日
2007年(3回目)2月24日
2008年(4回目)2月
2009年(5回目)2月28日
2010年(6回目)2月27日
http://kendama65.blogspot.jp/2010/02/blog-post_27.html

学童クラブ全体で冬季の期間限定で取り組んでいて、初段レベルの子ども達もいたのを思い出します。
ジンギスカンの曲に合わせての「もしかめ」は上手でしたね。

2011年からは、練馬区からは連絡がなかったのですが、不思議と豊島区立富士見台小学校から連絡があり、
2011年から毎年、小学1年生の生活科授業でけん玉授業をするようになりました。
不思議な縁を感じています。

そして、
富士見台小の学童クラブのスタッフが光が丘児童館に異動し、厚生文化会館児童室のスタッフも光が丘児童館に異動となり、2011年2月には光が丘児童館で「大人も子どももけん玉教室」が行なうことができたのでした。

人と人とのつながり(輪)が、とても大切であると感じています。
けん玉の輪をさらに広げていきたいものです。