2014年4月7日月曜日

厚生文化会館で、連絡をとれずに休んだ日(2011年)

厚生文化会館には、2003年からけん玉クラブを行っていますが、唯一連絡がとれずに休んだ日がありました。
それは、2011年3月11日14時46分18.1秒の東日本大震災があった日。この日は、厚生文化会館でのけん玉クラブを予定していた日でした。
そのために、午後から仕事は早退して、電車に乗って練馬駅を下車し、西友スーパーのエスカレーターに乗っている時に大地震が!!
揺れる中で、歩いて自宅まで徒歩10分。道路では電柱がグラグラと揺れていたことを思い出します。
家に帰ってからも余震は続き、児童室に電話しても通じず。こうなっては、児童室に行ってもけん玉クラブはできる状況ではないと判断して、自宅待機したのでした。
もし、通常の勤務であれば、大塚から1時間以上歩いて帰ることになっていたことでしょう。
実は、この3月11日は、けん玉クラブがなかったら、茨城県のリハビリの学校に実習を受け入れる担当者としての説明会に出席する話があったのでした。しかし、茨城県の話が来た時には、すでにけん玉クラブの予定が入っていたため、行きませんでした。

けん玉によって、運命の時に自宅にすぐ戻ることができたのは幸運だったと思います。

この日以外は、毎月、第2金曜日に厚生文化会館の児童室に行っています。
2014年4月からは、毎月の第1金曜日に変更しました。
2010年以降のことではありますが、前回投稿した内容を書いていて、この時のことが思い出されました。

2014年3月4日火曜日

おかげさまで4,000アクセス・厚生文化会館でのけん玉クラブ

けん玉活動録も、おかげさまで4,000アクセスを超えました。

2010年以前の記録を思い起こしながら、アップさせていただいています。

2010年以前は、どのような活動をしていたのか?思い起こすと、その多くは子育て奮戦記だったなあと。
今もその真っ只中にありますが、厚生文化会館の児童室にけん玉指導に行くようになったのも、長男がお世話になるようになったのがきっかけ。その長男は今は19歳に。まだ5番目の次男は今小学5年生ということで、今も厚生文化会館児童室にはお世話になっております。
気がつけば、児童室で私が最も古い?人になっているような。
私の日誌などによると
2003年から厚生文化会館でのけん玉クラブは始めたようです。
ということは、11年間毎月行っていることになりますね。




2014年2月13日木曜日

2級指導員の取得は1995年5月

けん玉の2級指導員、普及員の講習会は毎年行われています。
 行われる時期は5月の全日本けん玉道選手権大会の前日、または、全日本クラス別けん玉道選手権大会の前日に行われています。

私の場合、1995年の5月24日に参加しました。
この時に、会員IDもいただきました。
そのIDが私にとっては衝撃の番号でした。
それは、「65」
このブログのアドレスにも65を入れているのはそのためです。
私は1965年生まれ。

65という数字はとても縁のある数字だと思っています。

私は、日本けん玉協会入会者としては65番目ということになります。
今は少年少女から大人の会員(活動会員)の合計が1000人を越えていますから、そういう意味では古い会員の一人ということになりますね。

これからも謙虚に、誠実に、真摯に、指導員としても努力していきたいと思います。選手としても五段の昇段を目指しています。

2014年1月13日月曜日

練馬区立富士見台小学校学童クラブでのけん玉教室

練馬区立富士見台小学校学童クラブでのけん玉教室は、2003年からTouchさんらが指導に行くようになり、2005年から私が関わるようになりました。

2014年1月の豊島支部けん玉道場の練習会には、この学童クラブより2名のスタッフが参加され、富士見台小学校がとても懐かしく思い出されました。
2009年


2005年(1回目)2月26日
2006年(2回目)2月25日
2007年(3回目)2月24日
2008年(4回目)2月
2009年(5回目)2月28日
2010年(6回目)2月27日
http://kendama65.blogspot.jp/2010/02/blog-post_27.html

学童クラブ全体で冬季の期間限定で取り組んでいて、初段レベルの子ども達もいたのを思い出します。
ジンギスカンの曲に合わせての「もしかめ」は上手でしたね。

2011年からは、練馬区からは連絡がなかったのですが、不思議と豊島区立富士見台小学校から連絡があり、
2011年から毎年、小学1年生の生活科授業でけん玉授業をするようになりました。
不思議な縁を感じています。

そして、
富士見台小の学童クラブのスタッフが光が丘児童館に異動し、厚生文化会館児童室のスタッフも光が丘児童館に異動となり、2011年2月には光が丘児童館で「大人も子どももけん玉教室」が行なうことができたのでした。

人と人とのつながり(輪)が、とても大切であると感じています。
けん玉の輪をさらに広げていきたいものです。

2013年11月13日水曜日

タイトルを「けん玉活動録」に。

タイトルを「けん玉活動録☆藤原一生先生を慕って」に変更しました。

1990年代の回顧録、藤原一生先生の特別講演とをアップしてきました。

今後は、2010年までの活動録をアップしていきたいと思います。

2013年9月14日土曜日

おかげさまで3,000アクセス

このブログは藤原一生先生の講演内容を紹介しています。
おかげさまで3,000アクセスを突破しました。

このブログは、最初、けん玉回顧録として立ち上げたブログです。
未来への道を開く時に、まず過去を見直す、過去を整理することが大切だと思い立ち、ブログを始めたのでした。

私が社医学の学生でけん玉を始めたのは、佐藤さんがけん玉を教えてほしいと話しかけてきたところから始まりました。

佐藤さんが入学してから単にけん玉を練習し始めたのではなく、 すぐにけん玉に関する本を買ってきて、さらに藤原一生先生の家にまで出かけて、けん玉に関する情報を集めてきたところから、本格的なけん玉への練習へと進んだのでした。
けん玉シリーズ1〜4(小学館)

私はマイペースでけん玉をしていたのですが、佐藤さんはけん玉のビデオも入手して、けん玉の技を分析したり、どうしたらできるのか?を考えながらのけん玉の実践が始まったのでした。

上手な人のけん玉を見るということは、非常に助けになる、上達の可能性への扉を開くという感じがしたものでした。


2013年7月2日火曜日

藤原一生先生の特別講演の一部をyoutubeにアップ

藤原一生先生の特別講演の一部をyoutubeにアップしてみました。
文部大臣杯の許可を大臣から直接いただいたエピソードの内容を一部紹介します。


動画の内容は時々動画が途切れていますが、その内容は以下の通りです。
 ↓ ↓ ↓

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文部省に行って呼ばれるまで

 次の日、私、とにかく行きました。定の時間通りに。
 そうすると、文部省というのはい昔のビルでね。ゴキブリがいっぱいっているようなものすごいいビルですね。あんな虎ノのいい所にあるのにね。
 2に上がると急に赤いじゅうたんが敷いてあるんだよね。赤いね。い人がくところだけ、じゅうたんが敷いてあるんだよね。
 僕はね、民街で育ったせいか、ひねくれ屋なんだよね。そういうのがね。丸めて、どかしてきたくなっちゃうんだよね。で、あそこのじゅうたんを丸めてどかしたら、どこかにれて行かれちゃうんだよね。じゅうたんをいて行きましたが、待っていること、30分くらいですね。
 そのに、はひねくれ屋ですから、腕時計をこう外しまして、それで、時計をこうていたんです。テブルの上に置いてね。はどういうか、んでいる列のところには置かないんですよ。なぜか知らないけど。
 あのよくカメラマンなんかが、理大臣なんかが部屋に入っていくのをフラッシュたいて写すでしょう?ああいうような狭い所で横にね、きれいなソファがあったんですよ。1人は座れるね。中にいる声がみんなこえるんです。文部大臣の声が。
 で、ある人はい学校の総長ですね。秘などをれて。
「なになによろしくおいします。」ていたら、15秒で出てきたね。
 だいたいね、くてもね30秒から45秒。
 ちょっといなと思ってもね、1分30秒くらいね。
 それから、一番い人で、局とかいろいろな打ち合わせですね。で、それでせいぜい2分くらいですね。
 突然んできたのが、あの福の方で自民党の議員選挙で落かなんかするんだよね、衆議員かなんかが。それで、大ぎしているちょうどそのに当たったんですね。そのに先議員が来られましたね。そので一番くて3分でしたね。
 ただあのに、西岡先生がいなと思ったのは、先を入り口まで送って、廊下の所まで。それで、「今日はどうもご苦労様でした。」丁重な丁さで、ビックリしたんですね。それから、んで皆さんに「もう少しでわりますから」って、政治家だなあっててましたね。
 その次にいよいよ、が呼ばれたんです。

文部大臣とのやり取り動説

 それで、私がここに座っていると、西先生がここで、こうやってね。
 そのに、一番最初に大臣の第一声が、何を言われたかというと、
「先生はなぜ、今までもっと早くここにお座りにならなかったのですか?」と言われたんですね。で、は、「それは天がかなかったんです。」って言ったんですね。
「天動説です」って言ったんです。天がかない。天。ご自分でね、膝に字をいておられるんです。それをこうね、ぱっと逃さないのが作家ですね。
 文部大臣の指先がね、字をいていましてね、
一生;あっそれいます。それは「童」っていう字です。それは山形の天童。かに童のようになると自然にピシッと力が入る意味もありますが、私らの合は、ガリレオと同じで、天がかなかったっということなんです。
大臣;あっ『動』ですか?
 まるで国時間でしたね。そういう瞬というのは、文部省の記録の中に残すべきではないですかね。
 初めて、そこで、字の意味、日本の意味の深い、日本の美しさについての大臣と自身とのやり取りがあったんです。
大臣;それはどういうことですか?
と言われたから、
一生;私は原文平さんとか北杜夫さんとか、い人いっぱい知っております。そういう人たちの政治力で、からここに座るのはできたでしょうが、はそういうのが嫌いなんです。自然に座りたい。天にれられて、ここに座る期を待ってたんです。それが、今日来たんです。
大臣;あ、そうですか。

文部大臣室で、感の「けん玉指

 で、その次に、
大臣;今日来た目的はそれはわかっていますから、言わなくても結構です。先生には文部大臣杯を差し上げます。
 そのに大臣が「大きいのが良いですか?小さいのが良いですか?」
 これは二つ目の質問ですね。
 私は当然、文部省が大きなトロフィをくれると思ったんですよ。
 私はペレのテレビのシンがぱっと浮かんで、待てよ。ここで大相みたいにこんな大きなトロフィをくれ!なんて言うと、藤原一生は欲深いな。と思うんじゃないかと。
 この人はしているな。と思うから、

一生;はっ、大臣、は小さなカップが欲しい。ペレがキスするようなのが良いです。と言ったら、
大臣;ああ、先生は欲がないですね。
 これはしめたな。当たったなあと思ったんですね。ところがそうではないんですよね。わって、全部あの事官からもらったら、1枚のきれなんですよね。文部大臣杯の名を使用して良いというなんですね。
 で、局、文部大臣杯に、文部省に、文部大臣杯に相しいトロフィは、ご自分で作りなさい。ということなんです。あれにはビックリしたんですね。
 ですから、今、こんなに立派な100のけん玉トロフィね、意地でも作りましたね。すごいの。
 今年も8月の23日かな。サンシャインでやりますから、に来てください。
 私は、文部大臣室にいたに、正った時間28分。これはもう忘れないですね。え、本当に忘れないタイムですね。
 これは文部省の、文部省付きの秘官が言ったのですが、
 「こんなにく、滞空記録って言っていいかな?表が思いつかないんだけど、で言えば、滞空記録ですね。こういうのは珍しいです。」と言ってたんです。
 で、それはどういう事かというとね、秘官が何かサインを出すんですね。こうやって何かね。そうすると時間ですから。って催促なんですね。そしたら、大臣が「えっ、ちょっと待って。休憩取らせてよ。今童心にかえってるの!」と言われてね。
 そして、あと、ふりけんのコツを教えましたね。
 いいですね。文部大臣室で、大臣に教えて。西さんがやって、パッと「おっ!おぬし、やるじゃないか!」って、、思わず言っちゃった。「おぬし」って。で、笑ってたね。友ですね。うまいじゃないですか!
大臣;先生、はね、子どものね、ガラスで削ってんだんです。
一生;やるやる!大丈夫だ。おっ。そこだ!そこで引けば入ります!
入っちゃった!うれしかったですね。それで28分です。