SHUさん(けん玉道五段の吉本秀一)です。1990年代から2010年頃までをアップしています。リハビリの学校での学園祭に来ていただいた藤原一生先生の講演内容を紹介しています。2010年までの活動のドラマ、そしてけん玉の技名•種類を書いていこうと思います。I love Kendama.
2014年9月2日火曜日
2014年8月23日土曜日
一本のけん玉に潜むドラマ(1992年10月8日)
押入れを掃除していたら、1枚の機関誌(社医学競技けん玉クラブ)が出てきました。
発行は1992年11月1日
その中に、1992年10月8日の毎日新聞の記事が紹介されていました。
そこには、フランスでの感動が書かれていました。
以下の内容です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
日本けん玉協会会長・作家 藤原 一生 「私見/直言」
日本けん玉協会の創立は一九七五年五月五日。一年後の一周年記念のプログラムを見ると、「ウルトラC100)のキャッチフレーズが人々の目をひきつけるように大きく書き出されている。
それが創立五周年記念の記録を見ると「ウルトラC200」になり、八五年の創立十周年となると二万という数字に大変身している。
現在ではそれが三万以上に達しているが、これらウルトラCの名人技は日本けん玉協会の名人たちが頭をひねって作り出したものではない。
けん玉を楽しんでいる日本中の無名の少年少女たちが、その発明発見の主流をなしている。
けん玉のみごとな技の発明発見の動機も、一般発明界と少しも変わることはない。その多くは”偶然の発見”が多い。
一般の発明発見の世界では、「ふべんなこと」から追求してゆくドラマが潜んでいるが、けん玉の世界では”遊び”の中から今まで思いもしなかった技が不意に目の前に出現することがある。
一瞬の感動が、次のウルトラC発見へとつながってゆく。
その成功のドラマも計算のもとに作られるものではない。たえず追い求める心が、目に見えない糸をたぐっているのだ。考える心の中から新しい考えもにじみ出てくる。創造力の豊かなドラマへと転じて行く。
すばらしい技は技を呼ぶだけではない。人々の目をひきつける技は、また、思いがけない感動の輪を呼ぶ。
今春三月、パリの日本人学校伝承活動のひとコマ、ひとコマがくっきりと目に浮かんでくる。
体育館に足をふみいれると、全校生徒の声がどっと上がった。日本けん玉協会のこともよく知っていた。
喜びと感動の半面、なぜ、この遠いフランスの地までけん玉の輪がひろがったのか、その波及のなぞに一瞬、心の動きが止まった。しかも、大半の子がけん玉を持っていて、級・段認定の技を楽しんでいる。
はじめて見る楽しいゲーム、ニューウルトラCに燃え、燃え、大歓声がこだました。
別れるとき、一列にならんだ子どもたちの一人ひとりの手が熱っぽく汗ばんでいた。私にとっても、幸せの一瞬であった。
「けん玉のひびきは平和のひびき」。私の大好きなキャッチフレーズである。この美しい響きを守り続けなければと思う。
発行は1992年11月1日
その中に、1992年10月8日の毎日新聞の記事が紹介されていました。
そこには、フランスでの感動が書かれていました。
以下の内容です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
日本けん玉協会会長・作家 藤原 一生 「私見/直言」
一本のけん玉に潜むドラマ
一本のけん玉から三万以上の技が生まれるといっても、疑いの目をむける人が多い。日本けん玉協会の創立は一九七五年五月五日。一年後の一周年記念のプログラムを見ると、「ウルトラC100)のキャッチフレーズが人々の目をひきつけるように大きく書き出されている。
それが創立五周年記念の記録を見ると「ウルトラC200」になり、八五年の創立十周年となると二万という数字に大変身している。
現在ではそれが三万以上に達しているが、これらウルトラCの名人技は日本けん玉協会の名人たちが頭をひねって作り出したものではない。
けん玉を楽しんでいる日本中の無名の少年少女たちが、その発明発見の主流をなしている。
けん玉のみごとな技の発明発見の動機も、一般発明界と少しも変わることはない。その多くは”偶然の発見”が多い。
一般の発明発見の世界では、「ふべんなこと」から追求してゆくドラマが潜んでいるが、けん玉の世界では”遊び”の中から今まで思いもしなかった技が不意に目の前に出現することがある。
一瞬の感動が、次のウルトラC発見へとつながってゆく。
その成功のドラマも計算のもとに作られるものではない。たえず追い求める心が、目に見えない糸をたぐっているのだ。考える心の中から新しい考えもにじみ出てくる。創造力の豊かなドラマへと転じて行く。
すばらしい技は技を呼ぶだけではない。人々の目をひきつける技は、また、思いがけない感動の輪を呼ぶ。
今春三月、パリの日本人学校伝承活動のひとコマ、ひとコマがくっきりと目に浮かんでくる。
体育館に足をふみいれると、全校生徒の声がどっと上がった。日本けん玉協会のこともよく知っていた。
喜びと感動の半面、なぜ、この遠いフランスの地までけん玉の輪がひろがったのか、その波及のなぞに一瞬、心の動きが止まった。しかも、大半の子がけん玉を持っていて、級・段認定の技を楽しんでいる。
はじめて見る楽しいゲーム、ニューウルトラCに燃え、燃え、大歓声がこだました。
別れるとき、一列にならんだ子どもたちの一人ひとりの手が熱っぽく汗ばんでいた。私にとっても、幸せの一瞬であった。
「けん玉のひびきは平和のひびき」。私の大好きなキャッチフレーズである。この美しい響きを守り続けなければと思う。
2014年7月6日日曜日
児童童話「あかい目」
藤原一生先生の代表作品「あかい目」
私は、1991年の特別講演の時に、購入してサインをいただいたものを持っています。
先日、もう1冊欲しくなり、AMAZONで検索したら、中古があったので、購入しました。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4092430345/ref=olp_tab_all
インターネットがなかったころは、このような購入の仕方はなく、入手が難しかったのですが、時代的な恩恵で、手に入りました。
子どもの童話となっていますが、大人が読むと涙が止まらない話で、オススメです。
復刻版が出るといいのですが、、。
私は、1991年の特別講演の時に、購入してサインをいただいたものを持っています。
先日、もう1冊欲しくなり、AMAZONで検索したら、中古があったので、購入しました。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4092430345/ref=olp_tab_all
インターネットがなかったころは、このような購入の仕方はなく、入手が難しかったのですが、時代的な恩恵で、手に入りました。
子どもの童話となっていますが、大人が読むと涙が止まらない話で、オススメです。
復刻版が出るといいのですが、、。
2014年6月12日木曜日
2014年6月4日水曜日
上級指導員講習会2008年
2008年の第2回上級指導員講習会についての回想です。
この講習会は、けん玉道五段以上であることが参加資格であることを私は知らずに申し込みました。そして、事務局からは「どうぞ!」ということで参加しました。
参加してみると、五段以上でないといけないことを会場で知ったのでした。
そして、一ヶ月以内に五段合格するように言われたのですが、講習会後2週間もしないで不合格通知が来て、上級(1級)には至らず。
この講習会に参加して以来、活動記録を毎回書くようにしており、ここ3年以上はブログで活動報告をアップするようにしています。
そういう意味では、
この上級講習会によって、新たに指導員としての認識を持って、前向きに取り組む自覚を持って、けん玉普及に努めるようになったように思います。
いまだにけん玉道四段なので、五段への昇段を目指しての道は続いています。
この講習会は、けん玉道五段以上であることが参加資格であることを私は知らずに申し込みました。そして、事務局からは「どうぞ!」ということで参加しました。
参加してみると、五段以上でないといけないことを会場で知ったのでした。
そして、一ヶ月以内に五段合格するように言われたのですが、講習会後2週間もしないで不合格通知が来て、上級(1級)には至らず。
この講習会に参加して以来、活動記録を毎回書くようにしており、ここ3年以上はブログで活動報告をアップするようにしています。
そういう意味では、
この上級講習会によって、新たに指導員としての認識を持って、前向きに取り組む自覚を持って、けん玉普及に努めるようになったように思います。
いまだにけん玉道四段なので、五段への昇段を目指しての道は続いています。
2014年5月6日火曜日
冊子「けん玉人生の解剖」を改訂(200冊)
冊子「けん玉人生の解剖」のあとがきは、以下のように書きました。
この冊子を作成し改訂していくにあたり、皆様からのご感想、ご意見等もいただきました。病院で勤務しながら作成したため、入院患者さんにも読んでいただき、ご意見をいただきました。
藤原一生先生がおっしゃっていた「浅草六区」や「北支」の意味は戦争体験をした患者さんからお話をうかがい知ることができました。ありがとうございました。
また、中井裕子さんの編集協力で、より良い冊子になりました。
けん玉を通して多くの方々と出会い、その出会いこそが宝だと感じております。その出会いをさらに大切にしていきたいと思っています。
2013年7月の第12回藤原一生杯〜世界けん玉選手権〜では、この冊子を30冊寄贈することができました。また、2014年4月の時点で、200冊を自宅で印刷して発行できましたことを心より感謝申し上げます。
2014年4月 吉 本
秀 一
2014年4月7日月曜日
厚生文化会館で、連絡をとれずに休んだ日(2011年)
厚生文化会館には、2003年からけん玉クラブを行っていますが、唯一連絡がとれずに休んだ日がありました。
それは、2011年3月11日14時46分18.1秒の東日本大震災があった日。この日は、厚生文化会館でのけん玉クラブを予定していた日でした。
そのために、午後から仕事は早退して、電車に乗って練馬駅を下車し、西友スーパーのエスカレーターに乗っている時に大地震が!!
揺れる中で、歩いて自宅まで徒歩10分。道路では電柱がグラグラと揺れていたことを思い出します。
家に帰ってからも余震は続き、児童室に電話しても通じず。こうなっては、児童室に行ってもけん玉クラブはできる状況ではないと判断して、自宅待機したのでした。
もし、通常の勤務であれば、大塚から1時間以上歩いて帰ることになっていたことでしょう。
実は、この3月11日は、けん玉クラブがなかったら、茨城県のリハビリの学校に実習を受け入れる担当者としての説明会に出席する話があったのでした。しかし、茨城県の話が来た時には、すでにけん玉クラブの予定が入っていたため、行きませんでした。
けん玉によって、運命の時に自宅にすぐ戻ることができたのは幸運だったと思います。
この日以外は、毎月、第2金曜日に厚生文化会館の児童室に行っています。
2014年4月からは、毎月の第1金曜日に変更しました。
2010年以降のことではありますが、前回投稿した内容を書いていて、この時のことが思い出されました。
それは、2011年3月11日14時46分18.1秒の東日本大震災があった日。この日は、厚生文化会館でのけん玉クラブを予定していた日でした。
そのために、午後から仕事は早退して、電車に乗って練馬駅を下車し、西友スーパーのエスカレーターに乗っている時に大地震が!!
揺れる中で、歩いて自宅まで徒歩10分。道路では電柱がグラグラと揺れていたことを思い出します。
家に帰ってからも余震は続き、児童室に電話しても通じず。こうなっては、児童室に行ってもけん玉クラブはできる状況ではないと判断して、自宅待機したのでした。
もし、通常の勤務であれば、大塚から1時間以上歩いて帰ることになっていたことでしょう。
実は、この3月11日は、けん玉クラブがなかったら、茨城県のリハビリの学校に実習を受け入れる担当者としての説明会に出席する話があったのでした。しかし、茨城県の話が来た時には、すでにけん玉クラブの予定が入っていたため、行きませんでした。
けん玉によって、運命の時に自宅にすぐ戻ることができたのは幸運だったと思います。
この日以外は、毎月、第2金曜日に厚生文化会館の児童室に行っています。
2014年4月からは、毎月の第1金曜日に変更しました。
2010年以降のことではありますが、前回投稿した内容を書いていて、この時のことが思い出されました。
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